こんな文章を書きます。

調子の異なる文章のサンプルを挙げておきます。

堅い文章と柔らかい文章、スムーズに読めるものとそうでないもの、また、使う言葉の選択や話し言葉との距離感など、多くの要素によって文の印象は変化していきます。

目的に沿った文章をお作りするための参考資料として、ご覧ください。

※いずれも、私の過去の作品からの引用です。
※固有名詞の特定を避けるため、一部改編および伏せ字としてあります。

 

堅めの文調(旅行記)

※京都の観光名所「天授庵」の紹介文です。
南禅寺周辺は京都の中でも人気の観光スポットであり、天授庵周辺も内外の観光客で賑わいを見せている。だが天授庵はなぜか、素通りしてしまう人が多い。この点は金閣や清水寺とは対象的なところだが、それがかえって幸いであることが、敷地内に足を踏み入れるとすぐに判る。

門をくぐると正面に庫裡がある。屋内に入ることはできないが、薄暗い庫裡を通してその向こうの庭が見える。そこには、柔らかな日差しを浴びた木々が風にわずかに身を揺らし、あるものは常緑を誇り、あるものは紅の化粧を見せる。漆黒ともいえる暗がりのその奥に広がる美しい風景は、まさしく天然の屏風絵であり、また刻々とその姿を変えていく「生きた襖絵」でもある。
すでに、門外の喧噪はここまで届かない。ただ静謐な空気だけが漂い、その静けさの中でゆっくりと時の動きを感じるばかりだ。

庫裡の東側には並び立つように本堂が建てられており、その周囲は広い縁になっていて、その外側を巡る形で順路が設けられている。それに沿って本堂の東側に出ると、そこには見事な庭園が広がっていた。白砂に庭石を配置した枯山水と、その向こうに茂る緑と紅葉。人の手で造られたものに違いないのだが、そこには何の違和感もない。さらにその奥の池庭も同様である。石肌は苔に覆われ、さまざまな曲がりを見せる木々が心憎いまでの配置で並び、しかもそれが実に自然な美しさを放っているのだ。
決して「自然そのまま」ではない。だが自然の持つ本来の美しさをお手本として人の手を加えることで、より洗練された美しさが生まれる。当時の人々はそうしたことを、すでに充分に理解していたのだろう。

禅では、悟りの域を目指すために行う禅定を「とらわれの心からの脱却」を図る手段とし、「とらわれる」ことを嫌う。また悟りを得たい、その境地に達したいと渇望することすら、とらわれの表れと見る。だからといって、自然のまま、ありのままであれば良いかというと、そうではない。目に見える形に惑わされることもなく、言葉で表される概念に固定されることもない、自由闊達な心こそがその境地なのかもしれない。
およそ一般人にはたどりつけない真理の深み。だがその香りを感じ、かすかな声に耳を澄ますことも、時には必要なことだろう。それはあなたの心を富ませ、磨くことにつながるからだ。そして平安で豊かな心があればこそ、喜びとともに日々を生き、生を愉しむことができるのではないだろうか。


軽めの文調(エッセイ)

※あるフリーランスのエッセイ風自叙伝です。
どういうわけか、世間の人たちはフリーランスというスタンスに、偏ったイメージを抱いているようです。プライベートで知り合った人たち、特にこれから世の中に出ていこうという若い連中に、よく言われたものです。
「一匹狼か。カッコいいな」
一匹には違いないですが、オオカミなんて立派なもんじゃありません。ネズミが一匹、ウロチョロしてるくらいのもんです。イノシシとかクマとかはもちろんのこと、キツネやネコと出くわしても、問答無用で瞬殺されかねない運命です。
「組織に縛られないって、羨ましいですね……」
縛られないといえば聞こえは良いですが、組織力を持ってない、ってことです。扱える仕事の規模や量の限界はとてつもなく低いですし、常に一人でアップアップするばかりです。
「自分の時間を自由に使えるんでしょう? 理想じゃないですか」
バカ言っちゃいけません。一日24時間、年中無休です。土日も祝日もなく仕事です。それくらいしないと、仕事はいただけません。というか食っていけません。
「動けば全部、自分の稼ぎになるんだろ。オレなんざどんなに働いても会社が儲かるばっかりだからな……」
もう、何を言ってるのか判りません。タダ働きは日常茶飯事ですし、ギャラの相場は何年経っても上がる気配もありません。むしろ下がってます。泣けてきます。

他にもかなりたくさんあるのですが、世間の人たちがイメージしているほど、フリーランスってのはカッコいいものでも、イカしたものでも、稼げるものでもありません。
そりゃあ世間にはフリーの立場でやたら稼ぐ人もいますけども、本当にそんなのはごくごくごく一握りに過ぎません。「鳥取砂丘にバケツ一杯の砂」くらいなものです。決して割の良い生き方ではありませんし、笑いが止まらないほど儲かってるわけではありません。ひと山当てれば実入りはサラリーマンよりもはるかに多いですが、そう簡単に物事が運ぶものでもありません。実際に、ひと山当てるつもりが逆に墓穴を掘ってしまった人間の話は、そりゃもう掃いて捨ててもまだ湧いてくる始末です。

否定形の文章の連続で、もう書いていてもイヤになるばかりなのですが、これが大多数のフリーランスの現実です。そのポジションに憧れるのは人の勝手ですが、決して人様にお勧めできる生き方ではありません。何より、組織というバックアップが何もないわけですから、ケガや病気で仕事ができなくなってしまったら、それは収入がなくなるということに直結します。
野生動物と同じで体が動かなくなれば食えなくなり、食えなくなれば死を待つばかり。それがフリーランスというものです。


記事風の文章(雑誌の広報記事)

※雑誌に掲載した展覧会の広報記事です

冷泉家の至宝展

●平安の世を伝えるタイムカプセル
そもそも、冷泉家とは何だろう。パンフレットによると“歌聖と仰がれる平安・鎌倉時代の歌人、藤原俊成・定家を祖とする和歌の家。俊成以降、明治維新まで和歌をもって宮中に仕え、800年にわたる伝統を守り続けている……”
歴代宮中の和歌の先生、といったところだろうか? いや、どうやらそれだけのものではないらしい。
京都御所の北に位置する冷泉家邸宅は、現存する唯一の公家住宅として重要文化財の指定を受けた。明治維新の東京遷都の折りにも移築することなく、1606年以来、平安貴族の文化遺産を受け継いできたわけだが、現在、その解体修理工事が進められている。
この機会に、本格的な調査が入ったのが御文庫その他の道具蔵。そこには膨大な量の典籍類や、絵画、装束、陶磁器、漆器など、貴族の日常を彩ってきた調度品の数々が納められていた。
器物だけではない。同家では、平安王朝に起源を持つ年中行事の多くが今も伝えられており、四季の移り変わりの中で脈々と息づいているという。
はるかな王朝時代から、今日まで連なる系図。その中で、和歌を通じて公家の文化を、雅びの心を静かに守り続けてきた一族。冷泉家とは、平安の公家文化を今に伝える、まさに「生きている文化財」なのだ。

●公開される家宝の数々
今回、出展されるのは典籍、宸翰(しんかん)、絵画、そして各種の調度、装束、人形など。いずれも貴重な資料ばかりだ。
たとえば、国宝「古今和歌集」、重文「後拾遺和歌集」などの著名な古典籍。天皇家とのつながりをしめす多くの拝領品や、美しく表具された歴代天皇の宸翰。私的な神事にのみ用いられ、公にされることのなかった「柿本人麿画像」、「藤原定家画像」、冷泉家歴代当主の姿を描いた絵画と、「定家様」と呼ばれる特色ある墨跡。そこには、名声を確立し、そして代々伝えてきた「和歌の家」の系譜がうかがえる。
さらに、現在でも生きている歌会始、紅葉狩といった年中行事。日常において使われた屏風、装束、人形、漆器や陶磁器などの調度品。これらさまざまな生活文化の向こうには、平安朝の美意識を感じることができるだろう。
これまで門外不出とされてきた家宝の品々が今、数百年に及ぶ沈黙を破ろうとしている。

●語りかけるもの
現代、世界は年々忙しくなり、諸事せわしなく動いている。合理化とスピードアップが優先される一方、美学は忘れ去られ美意識はやせ衰え、軽んじられてゆく。そして多くの人々は「ゆとり」の本質も知らず、進むべき道も見えないままに右往左往を繰り返すばかりだ。
もし、あなたが今そんな状態にあるなら、ぜひ、この至宝展を訪れてほしい。歴史の知識も和歌の素養も必要ない。ただ先人の遺産にふれ、感じとっていただきたい。一つの文化を生み、育て、守り続けてきた人々の足跡をたどるとき、いままで見過ごしてきた明日への糸口が、きっと見つかるに違いない。
そのとき、遠い時代の“みやびの香り”は、きっとあなたに何かを語りかけることだろう。


女性の文章(コスメの体験談)

※広告記事に使用した体験談です。

「どうしてそんなに若いの?」役者仲間や友達からそんなことを言われると、やっぱり嬉しいですよね。でも食事や生活サイクルに気をつけるほかは、特別なことは何もしていないんです。ただ決して欠かさないのが、この「●●●●●」。本当にそれだけなんです。

もともと舞台女優というのは、肌へのストレスがすごいんです。初日前の稽古は心身ともに厳しいですし、厚いメイクや強いライトが日常茶飯事。ですからオフタイムに「いかに肌を休ませるか」というのが、若さを保つ秘訣になるんです。
そんな目で私が選んだのが、●●●●●のローションとクリーム。ヒアルロン酸やALAなど、乾燥して疲れ切った肌に必要な成分がたっぷり含まれているというところがポイントですね。でもそれ以上に素晴らしいのが、肌につけたときの使用感。スウッと吸い込まれていくような感覚で、初めて使ってみたときに肌が内側からふんわりしっとり潤ってくるのが判り、「あっ、コレだ!」と実感しました。それからはもう、●●●●●のとりこになってしまって……ずっと使い続けています。

夏の紫外線もそうですが、秋から冬にかけては乾燥がお肌の大敵。でも、●●●●●のローションとクリームがあれば、乾いた冷たい風から肌をがっちり守りながら、しっとりした潤いをキープすることができます。何より、使い続けるほどに「しっとり感」や「ハリ感」を実感できるのが嬉しいですね。こればっかりは言葉でお伝えすることが難しいので「とにかく使ってみて!」としか、言いようがないんですが(笑)

肌がうるおいをなくしてしまうと弾力が失われ、ハリがなくなります。さらに小シワが目立つようになり、やがて深いシワやたるみになり、一気に老けた印象になっていってしまいます。
そんな悲しい結果を防ぐには、まず肌の潤いをキープすることがいちばん。特にこれからの乾いた季節には、●●●●●はとっても心強い味方になってくれるはずですよ!


お年寄りの文章(回顧録)

※口述筆記を編集・再構成した自伝です。

生まれ故郷の●●で、私は高校卒業までを過ごした。この間には戦争があり、その大きな波は●●にも達していたけれど、まだ子供であった私には、世界がどのように動いているのか知る由もなかった。あの戦争についてはすでに星の数ほどの文献が上梓されているのだから、ここでくどくど語ることもなかろう。
ただ昭和二〇年春に行われた私の中学入学試験については、ちょっと触れておきたい。
この頃は戦争末期も末期、終戦直前という時期だ。非常時の名の下に、日本中が緊迫していた。そのため、私が志望していたN中学校の入試も筆記試験はとりやめとなり、校長による面接で試験が行われることとされた。
先に話したように、私は体には自信があったけれども、勉強の方はいまひとつであった。そんな私にしてみれば、筆記試験が無いというのは僥倖だ。それだけでも肩の荷が下りるというものである。
ところが、面接があるという。これはこれで悩みのタネであった。

今でもそうなのだが、私は無口なほうで、人と話すのはあまり得意ではない。決して人見知りというわけではないのだけれど、見知らぬ人を相手に気の利いた会話など、できるわけがない。
それが、校長の前に立ち、受験の動機やら将来の抱負やらを尋ねられるかと思うと、もう気が気ではなかった。
「そんなに緊張することはない、ありのままに話せばよいのだ」
そうおっしゃる方もあるだろう。ところが、その「話す」というのが、また難事なのだ。

世の中には、私のように無口なものもあれば、反対にひっきりなしにしゃべりまくるものもいる。無口であれば「何を考えているのか判らぬ」と疎んじられ、しゃべりすぎれば単純に「騒々しい、うるさい奴だ」と嫌われる。どちらも人それぞれの性分で、どうすることもできないのだろうが、やはり度を越すのはよろしくない。
ところが、おしゃべりな人はしばらく黙っていることはできるけれども、無口な人間が闊達に話すというのは、これは相当に難しい。自分の感情や考えといったものを、人に言葉で伝えるという作業に慣れていないため、どう言えばいいのか判らないのだ。

そんな私が、あろうことか面接を受けねばならない。さて、いったいどうすればいいのか。
日一日と近づく試験日を目前にして、私は寝ても覚めてもそのことばかりを考えていた。

オリジナルコンテンツ(小説)

オリジナル小説の一部を公開いたします。

あの川の向こう REFLOW

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