ずいぶん昔の話だが、「なんちゃっておじさん」というのがあった。どこだかの電車内に出没していきなり泣き出したり、ヤクザ風の乗客に絡まれたりしたあとで、にっこり笑って「な〜んちゃって」とやる。本当に実在したのかも疑わしく、今から思えば都市伝説の類なのだろうと思うが、当時は「なんちゃっておじさん風」の中年男性をCMに起用した企業もあったりで、ずいぶんと話題になった。まぁ同じ都市伝説でも「口裂け女」よりは平和だと思う。
俺が住む町にも「名物おやじ」がいる。その筆頭はなんといっても「歩く男」である。もちろん、俺が勝手にそう呼んでいるだけだ。
俺の町には駅前から伸びる、なかなか賑やかな商店街がある。わざわざ近隣エリアから買い物に出張ってくる人も多く、週末はもちろん平日でも結構な賑わいだ。この商店街に、彼は出没する。
歳の頃なら三十代半ばくらいだろうか。色白の細面、くせっ毛を短めに刈り、ゴルゴ13のごとき苦み走った表情、キリッと鋭い視線で前方をにらみ据えているのだが、それがいかにも自意識過剰な十代のふるまいのようで、イタく、滑稽に見えてしまうのがなんとも惜しい。惜しいからこそ、なんとなく親近感も湧くのである。常にまっさらの白シャツに黒ベスト、黒パンツというルックスは、酒場のバーテンダーのようだ。冬場はここに黒いジャケットに黒コートを羽織り、さらに長い白マフラーも加わる。この出で立ちでコートとマフラーの裾を左右に揺らしつつ、大股のモデル歩きで商店街を闊歩するのだ。
彼とすれ違う時、俺はいつからか彼の表情を真似るようになった。それに気付いたのか、やがて彼も俺を認識し、すれ違いざまに視線を合わせるようになった。別に何が嬉しいわけではないが、お互いを認識するというのは良いことだとなんとなく思う。
彼は天気さえ良ければ、毎日のように商店街を歩いている。踏切を越えて銀行とケーキ屋の前を通り過ぎ、さらに100メートルほど行ったところの肉屋の前で立ち止まると、クルッと向き直って来た道を戻ってくる。そしてまた踏切を過ぎてずんずん歩いていき、商店街の端の、国道に出るところでまた歩みを止め、回れ右するのである。つまり彼は商店街の中の片道200メートルほどの道のりを、ただ延々と歩いているのだ。「歩く男」たる由縁である。
さすがに歩き疲れるのか、しばしば休憩中の彼の姿を見かけることもあった。ある時は駅前のハンバーガー屋でコーヒーカップを手にしていた。ある時は、パチンコ屋のソファを一人で占領し、悠々とくつろいでいた。本屋の二階に置いてあるベンチで、何やら文庫本を開いていたのを見たこともある。こうしてひとときの休息のあと、彼はまた歩き始めるのだろう。
平日だろうと休日だろうと、カレンダーには関係なく彼はひたすら歩いている。
「あの男、いったいいつ仕事をしているんだろう?」
あれこれ想像はできるものの、実際のところは闇の中である。しかし、そんな彼を常日頃から目にしているということは、俺自身が曜日も時間も関係なく、商店街を闊歩しているということでもある。もしかしたら、すでに俺自身が彼から思われているかもしれない。
「あの男は、いったいいつ仕事をしてるんだ?」